頭がパーだから!

http://www.youtube.com/watch?v=Kayn4bhyubA

本の1ページ目をめくる瞬間が、1番好き。始まる物語への期待感や文字と対峙する緊張感に包まれて、私と本だけが会話をしだす、あの瞬間。ただの「背景」から自分だけが主役になれる、あの瞬間。


絵でも詩でも小説でも写真でも(ツールは何でもいい)、置かれている環境や状況でしか表現できないことってあるよね。その時代その瞬間にしか感じることのできない、感覚。そう言ったものに触れた経験が何度かあります。表現物から痛い程のメッセージを受信すると、毎回胸がズオオってなる。感性が、動く。いろんなものが麻痺して遠ざかって、そのすぐ後に胸の奥で爆発がおきます。


「やられたーーーーっ!!!」って。「たまんねえなこの表現!おい!オイ!!」って誰かに言いたくなる時もあれば「うわ……」って茫然とするときもある。もちろんそれは緻密な計算をはらんでいるものなのかもしれないけれど、とにかく、その人がその時に懸けたパトスが私を揺さぶるわけです。


(しかしながら、こういう経験は思春期くらいに一番多かった気もします。感情や感覚が今までで一番鋭敏だったのかもしれない。ある程度の出来ことに鈍磨になっていくことが、大人になるってことなのかなぁ。少しのことで揺さぶられているようでは自己が破たんしてしまいかねないから、そう育つようにできているのかなぁ。それは、少し残念でもあって……。「向こう側」を見ることができないのは、とても残念。)


だから私にとっても誰かにとっても「今の自分を(が)表現すること」は重要な意味を持ち、同時に大事なことなのだと思います。その時のその人にしか出来なかったものだから。それはもしかしたら他人から見れば仕様もないゴミクズかもしれないけど、その人にとってはその時の自分が詰まった、いわばアルバムみたいなものだと思うから。「懐かしむこと」は私にとって心を温めることなのです。卒業アルバムをひっぱり出してニヤニヤするって、きっと誰もに経験があるでしょう?自分が昔書いた詩や日記を読むことは、それに近いと思います。またそれが、メッセージをキャッチした誰かを「揺さぶる」ことも勿論あるかも知れない。そこから誰かが何かを感じ取ってくれたなら、それは表現者にとっては限りない喜びなのではないかしら。今日はこんなことをふと考えました。


あと最近、GOING STEADY銀杏BOYZブームが絶賛再可燃中であります。リビドーまみれのあの感じは、キラキラしていて実に良い。愛すべき「バカ共」です。ティファニープラダ、シャネル、カルティエ……僕が全部買ってあげるから!抱きしめて今夜だけこのままでいて!!!!