カウンセリングってなんやのーーー(あもーーーーーん)

今日は「カウンセリングって何よ」という疑問が唐突に湧いて、それに一日とらわれていました。

心は内臓みたいに取り出せないからいつまでたっても結局「概念」でしかないのに、それを何十年も追い続けている人たちが居る、ってことに急に疑問がわきました。上手く言えないけど、ほんと、天から降ってくるみたいでした。目の前の教授を見て「この人は何でそんなことしてるんだろう」って思った。だから、授業が終わってそのことを同期の人に聞いてみました。そしたら、本当に自分の意図しないところで、バタバタと涙が出てきました。自分でもよくわからなくて「えっ、えっ」ってなるんだけど止まらないし、ホントに何なのもう。同期の人(おっちゃん/30代後半)は「泣かはったほうがええと思うわ。何やよう分からんけど、言いたいこともあるけど、今は言わんほうがええ気がする」って言って、何かよくわからんけど笑ってました。人がちらほら集まりだしたので、タバコ吸ってくるって言って逃げました。


旧友にこの事を話したら「んー、俺もふと思っただけやけど、akiびびってるんちゃう?」と言っていました。「そういう正体不明の虚構をこれから扱っていこうとしてることに、びびってるんちゃうの?覚悟いるで、カウンセリングは。俺も何件かケース持ってるけど、その壁ぶち当たったもん。俺最初、自分のカウンセリングにお金もらってる、って実感がわかへんかった。けどな、それってホンマはめっちゃ覚悟いんねん。それを敏感に察したんちゃう?」って。多分思ったことそのまま遠慮なく言ってくれてるんだけど、何かストンと胸に落ちました。


このところ思っていたのは「心ってナマモノなんだな」ってことです。痛むし傷むし。しんどい経験を話すことはそれを再体験することだし、語るのにはパワーがいります。そういうものを扱っていく怖さとか不安とか。怖さ、のほうが正しいかな、正確。私は怖いのかもしれないです。クライエントとの勝負が怖いのかもしれない。もちろんカウンセリングは勝負なんかじゃないのだけど、相対する怖さを感じてるのかもしれない。


自己洞察することも、しんどい。自分の心の機微に自分で気づいて、それを処理・昇華していかなきゃならない。もちろん問題とか今まで見過ごしてきた課題とかも、全部。全部処理する必要があるのかは分からないけど。曖昧なまま抱えていた自分の問題にも目を向けなくちゃならない必要性を感じています。それは、そうしたいようで、したくないようで、すごくアンビバレントです。でも、覚悟がいるんです。乗り越えなくちゃいけない、のかな。


「akiのその感受性は、ほんまに武器やと思うで。今感じてるそのこともむっちゃ大事なことや思うわ。」〈そうかなーどうだろう〉「もちろん君はしんどいけどなwwwwでも今思ってることは忘れんようにしたほうがいいと思う。10年後だってその答えが見つかってるか分からんけどなー」と旧友は笑ってたけど、正直いまの気持ちを誰かに話してアウトプットしたり整理づけて考える気持ちの余裕も体力もないんだなーこれが。今週は特に忙しいのです。自己洞察、覚悟、機微。言語化すること、核心、痛いところの整理。小分けにしていけばいいかな、曖昧なまま抱えておくのもいいのかな。今日はひどく、本当に、疲れました。