昔付き合っていた人にプロポーズまがいの熱烈な告白をされたと思った矢先、今度はシャーマンである祖母から「今の恋人と別れなさい」というありがたい啓示をいただいたりして、私をおいてけぼりにしたまま世界はどんどん進んでいく。


 神様、とか、シックスセンス、とか、そういうものに縁がある家系に生まれて思うことは、大きな力に逆らって自分の意思をボガーンとぶち込んだ先に見る景色は果たして正しいものなのか、ということ。選択の余地のないものは宿命で、あるもの運命なのだと。だったら女であることやこの家に生まれたことは宿命だし、どの大学に行くかとか誰と付き合うかとか、そういうものは運命ってことになる。よね。ここに因縁とかいう概念を持ち込むと話はもっともっとねじれる。しかも母親と祖母が口裏を合わせたわけでもないのに私しか知りえないことをズバズバ言ってくるものだからその衝撃ったらない。手品みたいでしょ、「えーなんでー?」ってなっちゃうでしょ。
 

 そういう大きなものを相手取って、私はこの人と共に生きていきます、って言い切るだけの覚悟みたいなものが今の私には絶対的に足りなくて、なんでかって言ったら、そりゃあずーーっとこの家系で生きてきた環境がそうさせるんだと思う。赤いものを「赤い」と教えられて生きていくのと一緒だ。りんごを手にした親に「いいや、これは青色ですよ」なんて言える人いるのかな。「いやいや何言うてますのん、私この人とおったら幸せになれますがな!」って今の気持ちだけでもって盲目になれたらいい。「神様なんて見えまへんやん、連れてきなはれ、そしたら信じますわ」って相手にしない選択肢だってあるのだろう。でも人生かけます、って素直に言えない要素を彼が持っているのも確かではあって、まあそれを含めて自分の人生ですし自分が責任持ちますって啖呵切れるくらいで居れたらいいんだけど。だから結局、自分の意思と覚悟の問題なんだよな。「運命を切り開く」ってやつなのだと思う。


もう一度自分のことも相手のこともきちんと考えないといけない。誰に言われたからとかでなく、いやまあきっかけは祖母なのだけどそれはおいといて、この人と居て幸せになれるのかとかこの人は私といてどうなっていくのかとか。そういうとこ、もっかい、感じていかないと。視界狭窄にならないように、今まで目をつぶってきたところに光をあてないといけない。できるかな。くるしいな。くるしい。