ほろよい

学校が始まって最初の週がおわりました。後期は前期に比べたら時間的に余裕あるかなーと思ってたけど実習やら授業やらでめっちゃ忙しくて「何なんだ大学院!!!」ってなってます。後期の方が楽だよーなんて嘘じゃないかあー。この秋からは実際にクライエントさんを持ってカウンセリングもしていくので戦々恐々としています。


(以下、特にオチはない話が延々と続きます)


それはそうと(で冒頭をスタートすれば大概の話題はぶちこめると思っています)、先日読書家の先輩から「読む本なくなったからええ本教えてー」と連絡があったので何冊か面白かった本を紹介したところ、それを本当に読んでくださって感想までフィードバックしてくれるという大変喜ばしいことがありました。うれしい!


んでその先輩が言うのです。「文学作品にセックスなんて出すべきじゃない。日本の小説はセックスを描写することがステータスなの?それで小説の質を上げようとしてるの?セックスを出していいのは官能小説だけだよ、間違ってるわー。」って。小説って静的なものだしそこに生々しさは必要ないらしい。確かにセックスもしくは性的なニュアンスを感じさせる場面がある作品は多いかもなーって思う。描写としてもドラマチックだし単純にドキッとするし、日本は性的なことってタブー視されがちだから余計に興味もわく気がするけど、小説に果たしてその要素が必要なのか?って聞かれたら分かんないなーとか。いや海外の事について詳しい訳じゃないけど。


でもセックスを登場させることで面白味が増すこともあるかなって思う。だって言語化できることだけが思考や感情やその他ではないんじゃないかなって。村上春樹とかもセックスや性的事象をよく作品に登場させてるけど、主人公のパーソナリティにうまく色づけしてるなーって思うもん。「あぁーたぶんそこでしちゃうよね、そうだよね」って何となく納得する。その「何となく」を喚起できるかどうかが作者の力量だと思うし、セックスやその他で何を感じるかは読み手が得るものだから、一辺倒に蛇足だ!って思うのはどうかなー。「なんとなく」するよねーって思えないのであれば、それは作者の力量不足か読み手の読解力不足か、読み手が性的事象に何か別にひっかかりがあるからじゃないの、なんて。小説なんてほとんどのジャンルが人間を取り扱ってるんだから、生々しさをとっちゃったら面白くないと思うんだけどなぁ。ファンタジーだって人間模様だよ。セックスが出てきたって全然不思議じゃないよ。


というオチもない散文を酔いに任せて書いています。明日の朝見て消しちゃうかもしれないなー。