心のダストボックス

バイトの面接に行ってきました。
一人暮らし初めて何が一番驚いたかって、自分の物知らずさとお金の重要性ですよ。料理一つするにしてもレシピわからないし、スーパー行っても何買ったらいいのかわからないし、相場の値段が分かんないから高い安いが分からない。それプラス、家賃だ水道代だ光熱費だ…ってお金がみるみる消えてくし。どんだけ親に頼って生きていたかを痛感しました。うへぇ。バイトして自分の遊ぶ金ぐらい作れたらいいなと思ってます。面接受かってろ!!!



aki的宗教論。
自分は今ある宗教学校(っていう呼び名があるかは分かんないけどw)に通ってます。ある宗教が運営してるのか??よくわかんないけど(爆)。だから「○○宗教学」っていう授業もあったりします。しかも必須wwまぁ普通に良心的な(?)宗教なんで、信仰の強制は絶対しないし、普通に淡々と授業は進んでいくわけなんですが。
前置きが長くなりましたが、そんなこんなで友達と宗教と信仰とかの話しをするんです。そんな時に思ったことをつらつらとw知ったかぶりですがごめんなさい;



宗教の一番の存在価値(言い方悪いですけど;)は「慰め」にあると思います。例えば誰か大切な人が死んだとき。残された人の悲しみや喪失感は想像できないくらい大きいと思います。そんな時に「亡くなった人の魂は天国(極楽etc)に行く」とか「空から見守ってる」だとか言われると、その人の心は幾分癒されるでしょう。実際に魂だとかがあるかどうかはわかりません。現実的に言えば、その人と一切コミュニケーションが取れなくなって、ただの物体になってしまう。でも、そこから「先」の世界を作った事が、自分たちにとって大きかったと思います。
それから「聞いてもらえる」と言うこと。「困ったときの神頼み」という言葉もあるように、私たちはしばしば自分の力だけじゃどうしようもないことを、神様や仏様にお願いして物事が好転するように祈ります。実際に神や仏が力を加えてくれるかはわかりません。そんな存在があるのかすらわかりませんから。でも、「誰かに祈る」「自分の願いを聞いてもらう」ということを通じて、私たちは自分のどうにもならない欲求を幾分か解消しようとします。
このように、私は宗教とは「心の安定剤」であると思います。当たり前のことをつらつら話しているだけですね(笑)。ではなぜ「安定剤」であるはずの宗教を背景とした戦いが起きるのでしょうか。
私が思うに、宗教やその他の信念に「正しさ」を求めるからだと思います。自分が信仰している宗教と違う教えを他の宗教が説いていた時、きっと多くの人は「間違っている」と思うのではないでしょうか?間違っている、は極論だとしても違和感は感じると思います。「自分の信仰している宗教の教えが正しくて、その他の教えは何かがおかしい、間違いだ!」となると、指摘された側はいい気持ちはしません。そこから争いが生まれるのだと思います。
最初に言ったように、宗教は心の安定剤であると私は考えています。だからどの宗教も正しくはないが、違ってもいないというのが私のスタンスです。よって私が考える争いを避ける方法は「他は他、うちはうち」と割り切ることです。小さい頃母親によく言われました(笑)。
他を認めろとは言いません。自分の信念と反対のことを言う奴らを認めるのは困難なことです。だから「あっそ、あんたはそう思うの、勝手にやってくれ」と自他の区切りをつけることが大事だと思います。これも十分難しいことですが^^;他人に迷惑をかけずに(←ここ大事)自分の信念を貫けたら、それは素晴らしいことだと思います。理想論ですが、目指すことは大事でしょう?(誰)
それから話は飛びますが、「安定剤」である以上、信仰は押し付けてはいけないと思います。
友達に教会の会長の息子や娘がいます。そのうちの一人の子と話をした時に「行く行くは教会長になる子だという目で見られる」「人生束縛されて仕方がない」「俺は神様なんて信じてないのに」ということをぼやいていました。宗教って、無理やり信じさせられるものではないですよね。自分が教えに共感して、その道を進みたいと思った時に初めて「信仰心」が生まれるものだと思います。だから、その子みたいに信仰せざるを得なかったり、どこかみたいに無理に入信させたりするのは間違っていると思います。


あぁ…書きたい事書いたらすっきりしたwwww発散させてもろてあざっす。
ちなみに自分はどこの神と限定はしませんが「何か大きなもの」の存在は信じてます。日本人は無宗教多いですけど…ね。